西軍の関ヶ原史跡

宇喜多秀家陣跡(南天満山・天満神社)~西軍最大勢力を動員するも最後は八丈島に?

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1600年、関ヶ原の戦いにおける本戦では、西軍最大の17000と言う兵力を誇り、満を持して南天満山付近に布陣したのが宇喜多秀家です。
西軍は大阪城に留まった毛利輝元が総大将でしたが、西軍の副大将は宇喜多秀家(28歳)で関ヶ原にも参じました。

宇喜多秀家は、豊臣政権下では五大老のひとりであり、当然豊臣恩顧として石田三成に協力したのです。
鳥居元忠伏見城攻めのあと、伊勢・長島城を攻撃し、大垣城にて西軍に合流。
そして、この関ヶ原合戦においては、宇喜多秀家が名目上の西軍総大将でした。
そのため、西軍の中でも中心部に本陣を置いたものと推測されます。

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下記は関ヶ原ウォーランドの宇喜多秀家です。

宇喜多秀家の家中で、まだ無名だった宮本武蔵もこの付近にて戦ったものと推測でき、東軍の福島正則を相手に、互角の勝負を行いました。
下記は宮本武蔵です。

小早川秀秋の裏切りに対して、宇喜多秀家は「松尾山に乗り込み金吾(小早川秀秋)を叩き斬ってやる」と言われますが、重臣・明石全登に制止されます。
そして、明石全登が殿(しんがり)を務めて、宇喜多秀家は伊吹山中へと逃亡しました。
その後、島津義弘を頼って薩摩へ逃れましたが、のち、徳川家康に引き渡されると、配流先の伊豆・八丈島にて約50年生活し、命を閉じました。

明石全登は放浪したあと、大坂の陣に参じ、討死したとも逃げおせたともされています。

さて、宇喜多秀家の陣跡となる、南天満山の「天満神社」は、天満山の南にあります。
完全な麓ではなく、山腹と言う事になりますが、低い部分の山腹でして、麓からは徒歩1分くらいですので、登るような心配は無用で、観光所要時間としては5分といったところです。
下記写真の参道先が天満神社です。

ただし、実際には17000もの大軍ですので、宇喜多秀家自身は、山のてっぺんの方に布陣したのかも?と考えましたが、天満山の山頂はそんなスペースはないらしいです。
そのため、まさに天満神社のある場所に本陣を置いたのかも知れません。
下記は天満神社の社殿となります。

神社の右脇斜面には下記写真の石碑があり、境内左奥にはこのページトップ写真の石碑がありました。

浮田秀家と漢字が違いますが、八丈島に流されたあと、浮田と改名したとされています。
各写真はパソコン・タブレットの場合、クリック(タップ)すると拡大致します。

宇喜多秀家陣跡(天満神社)への行き方

天満山の東側に、天満神社の入口があり、神社を示す石碑も建っています。
歩きや自転車の場合には、ここからうっそうとした林の中を進んで行きましょう。

クルマ(自動車)の場合には、上記の道ではなく、南側に1本、車が通行できる未舗装路があります。
下記写真の道路で狭いですが、5ナンバーの普通自動車くらいまでは通行できます。

デコボコではないので、比較的走りやすい未舗装路ですが、ずっと入って行くと、天満神社の麓に到着致します。
行けば分かりますが、下記の地図ポイント地点が、宇喜多秀家陣跡となる天満神社への最寄り地点となります。

ただし、この未舗装路には「駐車場」がありません。
天満神社近くの未舗装路は、一部が路肩になんとか駐車できるスペースがあり、駐車禁止ではありませんので、なんとか止める事は可能です。
繰り返しますが「なんとか」です。
止めれても、引き返すのが困難です。
方向を転換(Uターン)することが難しいです。

私の場合、レンタカーを軽自動車にしましたので、狭い未舗装の道路上にて、数回の切り返しを行い、方向を反対向きに変えて脱出しました。
しかし、自分の車のように、バックモニターは無いですし、大きな杉の木にウシロをぶつけないか?、ヒヤヒヤものでした。
普通自動車、まして大きな車では、道幅が狭いので、切り返しも困難です。
このように、関ヶ原では「軽自動車でよかった」と思える場所が、何箇所もあります。

その未舗装路のずっと先は、藤古川のダムサイトになっていますが、行き止まりとなります。
そのダム付近にて、恐らくは方向転換できる場所があるものと推測致しますが、情報としては確認している訳ではありませんので、ご了承願いたく存じます。

と言う事で、通行そのものは禁止されていませんが、この未舗装路をクルマで入る場合には、リスクも伴いますので、自己責任にてお願い申し上げます。

徒歩にて大谷吉継の墓方面へ向かう場合には、その藤古川ダムを渡って行くのが近道です。(車は渡れません)
サイクル自転車もダムを渡れますが「階段」があるとの事ですので、ちょっと大変かも知れません。

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