西軍の関ヶ原史跡

阿多長寿院盛淳の墓と蒲生10名の墓【関ヶ原近郊の史跡】

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長寿院盛淳(ちょうじゅいん-もりあつ)は、阿多盛淳、阿多長寿院盛淳とも呼ばれますが、阿多と言うのは子孫が阿他氏を称したからとなります。

長寿院盛淳は、もともと室町幕府の管領の1つである畠山氏の分家出身という事で、1548年?に畠山頼国の子として生まれました。
ただし、祖父の代に、京都から薩摩へと渡ったとされ、父・畠山頼国の意向で長寿院盛淳は幼い頃から、鹿児島の大乗院に入りました。
3歳の時には、高野山で修業すると、11歳では根来寺にいたようですが、その後、薩摩に戻ると安養院の住持となりました。

そして、1586年頃、39歳の時に島津義久に見いだされると奏者番として使僧となって仕えるようになり、島津家の九州統一(九州平定)で活躍し、豊臣秀吉との交渉役も務めました。
豊臣秀吉の九州攻めでは、島津義久と豊臣秀吉の和睦にも貢献し、伊集院忠棟と共に石田三成らと親しくしたようで、太閤検地の奉行なども担当しています。

長寿院盛淳は小田原攻めや朝鮮出兵にも従っています。

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1595年、島津義久が隠居すると、200石にて島津義弘の家老となりました。

1600年、関ヶ原の戦いでは、徳川家康からの要請を受けて、1000を率いて出陣した島津義弘が「西軍」になってしまったのを聞いて、8月上旬に領地の蒲生から70名を率いて、山川から船にて兵庫に上陸しました。
その後、陸路で向かい、9月13日とギリギリで大垣城に入っていた、島津義弘に合流したようです。

長寿院盛淳(阿多長寿院盛淳)が到着した際に、島津義弘は手を取って出迎えたと「島津義弘公記」に記載されています。
また、着陣の際には、島津義弘が豊臣秀吉から賜っていた、白い鳳凰模様の陣羽織を、長寿院盛淳に贈ったとあり、また石田三成も軍配を授けたと言われています。

しかし、1600年9月15日、関ヶ原の本戦では西軍劣勢となり、島津義弘は「島津の退き口」と言う敵前突破を図ります。
どうも、この果敢な戦線離脱を進言したのが、長寿院盛淳(阿多長寿院盛淳)のようです。

「薩摩までの五百里、主君を守って見事討死し、その名を残すべきである」

と、薩摩兵に力説したと言う話があります。
この時「鳥頭坂の退却戦」で島津豊久が倒れると、第2陣として殿を長寿院盛淳(阿多長寿院盛淳)がかって出たようです。

長寿院盛淳(阿多長寿院盛淳)は、島津義弘から拝領した陣羽織と、石田三成から拝領した軍配を身につけて、島津義弘の身代わり(影武者)に扮しました。
そして「島津兵庫入道義弘は我なるぞ」と名乗って奮戦しましたが、山本義純に槍によって討ち取られました。享年53。

蒲生の家来である和田奔存坊、新保善左衛門、野付喜右衛門尉、野村与右衛門、池田治介、上原勘内、土持護兵衛、福崎甚作、長野助十郎、森二郎、黒木伸一ら18名も、主人と共に牧田上野で命を落としました。
淋光寺にある阿多長寿院盛淳の墓(丸い石)のまわりにある「自然石」が、蒲生士十人名の墓とされています。

島津義弘は、この時間稼ぎによって危地を脱し、谷口重昌(谷口六郎重昌)・頴娃弥一郎らに守られて駒野の方向へと南下できました。

淋光寺にある阿多長寿院盛淳の墓

牧田支所からほど近い、淋光寺の境内に、阿多長寿院盛淳の墓があります。
場所は下記の地図ポイント地点となりますが、隣の牧田支所の広い駐車スペースに止めさせて頂きました。

阿多長寿院盛淳の墓は、山門から境内に入って、本堂の左手にありました。

阿多長寿院盛淳を供養する五輪塔は、江戸時代中期の宝暦年間に、木曽川の治水工事を行った薩摩藩士が、この地を訪問し建立したと言われています。
大きな板碑は、大正に阿多長寿院盛淳の子孫が建てました。

同じく討死した島津豊久の碑も、そんなに離れていませんので、是非セットで訪問したいところです。

島津の退き口~島津の撤退戦と島津豊久の碑【関ヶ原近郊の史跡】
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島津義弘~数々の武勇を残すも実直であった文武両道の猛将
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