関ヶ原近郊の史跡

垂井城跡~平塚為広の居城【垂井町の関ヶ原合戦関連】

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関ヶ原の戦いにて、西軍の大谷吉継と共に奮戦した平塚為広の居城は、関ヶ原町から隣にある垂井町の中心部にあります。
この垂井の専精寺付近も湧水が豊かな地であり、旧中山道も通っており、その街並みはいかにも古く素晴らしいです。
水が沸くところには人が集まりますので、かなり昔から発展した街であったことには間違いなさそうです。
上記トップの写真は専精寺の東側に隣接する「垂井の泉」です。

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当時、垂井を所領としていた平塚為広は12000石ですので、同じ垂井町を拠点にし、関ヶ原も所領としていた東軍・竹中重門よりは、家禄が多かったようです。

なお、垂井城(たるいじょう)と考えられる場所は、専精寺付近だと考えられていますが、確実にココだと言う事ではないようです。
このサイトでも、関ヶ原にて各武将が陣を置いた場所が、よくわかっていない箇所に関しては「推定地」と言う事で簡単なご紹介をさせて頂いておりますが、垂井城も同じ推定地と言う事になります。
そして、その推定地には垂井城址の石碑が建立されています。

私は、推定地でもこのような石碑はあった方が良いと思いますので、とても良い事だと思います。
地形図を見ても、専精寺がある場所は、台地の先端と言えますので、ここでほぼ間違いないのかな?と言う気は致します。

ただし、その場合には、近世的な防御機能があった城と言う事ではなく、ほとんど「屋敷」と言う事になります。
関ヶ原の戦いの際に、東軍が垂井城を占拠したと言う記録もないようですし、実際に城跡だと言う痕跡は乏しいです。
その理由としては、平塚為広がこの垂井領主になったのが、関ヶ原の戦いがあった1600年であるためだと思います。
新しく居城を整備するまもなく、石田三成の挙兵になったものと推測致します。
そのため、戦が終わったら、北東にある喪山(標高54m)付近に、新しい城でも築こうと考えていたのでは?と、余計な考えも浮かんでしまいます。

垂井城の駐車場は、専精寺の駐車場を利用させて頂きました。
入口がちょっと分かりにくいのですが、下記の地図ポイント地点から坂を上がってください。
駐車場の片隅に石碑があります。

今回は、訪問計画には入れていなかった追加訪問となった為、事前調査が不足していて、あまり垂井町寄れませんでした。
垂井町はこの他に竹中半兵衛関連だけでなく、鎌倉時代に相模から垂井に引っ越した長屋氏の屋敷跡があるなど、色々と史跡もあるので、是非、じっくりと廻ってみたいところです。
ちなみに、垂井町役場などではレンタサイクル(貸自転車)もあるようです。

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