関ケ原の時の徳川家臣

遠山利景と遠山一行~徳川家の旗本となる礎を築いた明知城主

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遠山利景(とおやま-としかげ)は美濃明知城主・遠山景行の3男だったようで、幼いころから妙法山・萬勝寺にて僧になっていました。
しかし、元亀元年(1570年)に兄・遠山景玄が死去し、元亀3年(1572年)12月28日、上村の戦いでは秋山虎繁に敗れた父・遠山景行も自刃してしまいました。
その後、1574年、武田勝頼長篠の戦いの前に明知城を陥落させた際に、次兄の遠山友治も討死し、血筋が絶えたことから、明知遠山家の家臣が相談して、遠山利景を還俗させた模様です。
通称は、遠山勘右衛門です。

遠山利景は正室として三河・足助城主の鈴木重直の娘を迎え、庶長子・遠山方景、次男・遠山経景を設けていました。
しかし、兄の遺児・遠山一行を養嗣子とします。
実質的には、遠山一行(遠山与助)が家督を継いだようですが、まだ幼少であったため、遠山利景が還俗して後見人となっただけでなく、あと腐れの無いように養嗣子にしたようです。

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1573年?に、遠山利景は織田信長に助けを求めたようで、明智光秀が派遣され、敗れた秋山信友は撤退したとありますが、これは不確定な要素もあります。

1574年2月、武田勝頼は15000にて遠山18城を攻撃し、その中に明知城も含まれていました。
この時、遠山利景らは兵500にて防ぎ、織田信長に救援を求めています。

織田信長は、織田信忠・明智光秀に30000を預けて武田勢に向かわせましたが、明知城内にて飯狭間右衛門が謀反を起こし、援軍として入っていた坂井越中守を討ち、城に火を放ったと言います。
そのため、遠山一行と遠山利景は、妻の実家である足助城を頼って逃れたとされています。

しかし、1575年5月、長篠の戦いで武田勝頼が大敗を喫すると、武田家に奪われていた岩村城を織田信忠が包囲します。
このとき、遠山利景は小里城を落として、明知城を奪還することに成功しました。

天正10年(1582年)、織田信長の甲斐攻めが始まると、江儀遠山氏の和田城主・遠山景広(遠山遠江守景広)は、武田について仁科盛信が守る高遠城に一族を率いて入っています。
この遠山景広は遠山景俊・遠山刑部ら郎党140名とともに討死を遂げました。
明知遠山氏は逆に徳川家康に属して、遠山利景は遠山一行と遠山方景を伴って織田勢として参戦しました。
河尻秀隆らと甲府に入りますが、本能寺の変が伝わると遠山方景は明知城に帰還しています。

なお、江儀遠山氏の和田城主・遠山景広(遠山遠江守景広)は、武田について仁科盛信が守る高遠城に一族を率いて入っています。
この遠山景広は遠山景俊・遠山刑部ら郎党140名とともに討死を遂げました。
この時、駿河の江尻城を経由したようで、本多重次に対して、以後も徳川家に従うことを誓いました。
しかし、羽柴秀吉より美濃・金山城主の森長可に従って、人質を出すようにとの命が届いたため、遠山一行の娘を金山城に人質として送っています。

ただし、天正11年(1583年)、遠山利景は明知城を秘かに出て、従兄の小里光明(和田助右衛門)と共に三河・足助城に赴くと、徳川家に従いました。
この行動を知った森長可は激怒し、人質である遠山一行の娘を殺害して、野原村の河原に晒したとされます。
そして、明知城は森長可が陥落させました。

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いの際、遠山勢は菅沼定利の部隊に組み込まれていました。
森長可が討死した混乱に乗じて、4月17日、徳川家康の命を受けた遠山利景は策を用いて嫡男の遠山方景と共に明知城を奪還します。
この時、明知城は森長可の家臣・石黒藤蔵と関左門が守備していたようですが、首級15を挙げ、そのうち3つを小牧山城の徳川家康本陣に送りました。
徳川家臣の西尾吉次と本多正信が首実検をし、論功行賞で明知城の所領安堵が認められたと言います。

さらに、徳川勢から加勢を受けると、森長可の家臣・各務元正が守る岩村城へも攻撃しました。
しかし、逆に遠山半左衛門などが討ち取られ、失敗に終わっています。

なお、養嗣子の遠山一行は別行動を取っており、大久保忠世に後見された依田康国に従って、真田昌幸を押し込めるため小諸城の守備に就いています。

8ヶ月に及んだ小牧・長久手の戦いでしたが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と織田信雄が和睦をしたのを機に終わると、羽柴秀吉の命にて明知城は、戦死した森長可の弟・森忠政(森左近衛中将忠政)の所領7万石の一部とされました。
森蘭丸などは先の本能寺の変で討死しており、豊臣秀吉としては、長久手合戦で討死した森家の跡継ぎが森長重(森忠政)だけであったため、森家の再興を優先したと言う事になります。

そのため、遠山利景は再び足助城(真弓山城)の鈴木重直を頼っています。

なお、徳川家の家臣となっていた遠山一行は、徳川家康の使者として、駿府と信濃・甲斐を行き来していましたが、1588年の冬、三河への帰途の際に、平沢峠(野辺山)で寒波(大雪)に遭って凍死しました。
これにより、明知遠山氏の嫡流である遠山景玄系は断絶しています。

一方、足助城の鈴木重直も、徳川家臣に組み込まれており、遠山利景は、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めにも、鈴木重直と共に徳川勢として従軍しています。
そして、徳川家康が江戸城に転封となると、遠山利景は上総に所領を与えられ、徳川家の旗本となった模様です。

なお、八王子城の戦いで討死した中山家範の嫡男・中山照守に、遠山利景の娘が嫁いでいます。
この中山照守は 最終的に3500石の大身旗本となりました。
同じく八王子城主だった北条氏照の家臣だったと考えられる、三田綱勝の嫡子・三田守綱も徳川旗本となり、遠山利景の娘を迎えています。

1600年、関ケ原の戦いの際、遠山利景は上杉景勝の会津征伐を行う徳川勢に加わりました。
石田三成が挙兵すると、東美濃の諸大名は全て西軍に味方したため、徳川家康は、遠山利景、遠山友政、小里光親(小里光明の子)らを派遣して、東美濃の敵城を攻撃するよう命じています。

遠山利景は遠山方景と1600年8月下旬に小里光親と共に、原土佐守が守る明知城を包囲しました。
首級13を挙げ9月12日に明知城を攻略すると、翌日には小里城も奪還しています。

さらに岩村城の田丸直昌を包囲して土岐砦を陥しました。
9月15日、関ヶ原本戦にて西軍が敗走すると、田丸直昌は降伏したため、遠山利景が岩村城を接収し、土岐砦には遠山方景が入り、次男・遠山経景は明知城を担当しました。

これらの戦功が認められて、遠山利景は明知の旧領を与えられます。
遠山氏で、江戸時代に旧領を保つことができたのは、苗木遠山氏と、明知遠山氏だけです。
ちなみに、小里光明も旧領3580石を回復しています。

そして、遠山利景は伏見城にて従五位下、民部少輔に任じられ、9月27日に徳川家康が大坂城に入城した際には、御奏者奉行を務めました。

慶長8年(1603年)、美濃国恵那郡と土岐郡において遠山利景は6530石を朱印状で認められています。

遠山利景は慶長19年(1614年)5月20日に死去、享年75。
菩提寺は自ら創建した龍護寺で、家督は遠山方景が継ぎました。
ただし、1615年、一国一城令により明知城は廃城となっています。
その後は、麓に陣屋を構えて幕末を迎えました。

分家筋からは「遠山の金さん」で知られる名奉行・遠山景元(遠山金四郎)を輩出しています。
また、幕末のペリー来航時に浦賀奉行を務めていたのは、12代の遠山景高となります。

なお、明知遠山氏の菩提寺は、明知城から見て北側にある龍護寺にあります。
遠山利景が菩提寺として定めました。
明智光秀は、明知城で生まれたともされることから、明智光秀の供養塔もあります。

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