戦国時代にガレオン船が日本で用いられなかった理由を考えてみた

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ある日、フェイスブックのグループにて「なぜ、戦国時代の宣教師が乗ってきたガレオン船を、戦国大名は造船しなかったのか?、造船していれば海戦も有利はずだ」と言うご意見がございました。
確かに、その方の主張のように、ガレオン船を用いれば、船としての強度と船足がありますので、朝鮮水軍にも負けなかった?かもしれません。

では、なぜ、戦国大名はガレオン船を作らなかったのか?と言う事を考えてみました。

現在の日本では、クルマに車検があるように、船舶にも構造や強度の検査があります。
これは、船舶の船体の強度、設備、エンジン出力、安全性などが、その船舶が航行する目的の水域でも、支障がないか?を検査するものです。

現代の日本の法律では、平水区域、沿岸区域、沿海区域、近海区域と区分あり、例えば、船舶の状態が沿海区域向けに設計・建造された船は、その区域より外側では航行が許可されません。
遠洋区域の規格に合格している船は、それだけ頑丈に作られている必要がありますが、世界どこの水域でも航行できます。




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すなわち、日本を統一するうえで「海戦」があったとしても、航行に耐えうる構造・性能として、必要な船は「沿岸区域」程度の強度の船で充分です。
要するに必要な船として考えますと、航行させる水域に適した船を使用すると言えるかと存じます。

このように、陸地より離れれば、離れるほど、それなりの性能が求められるため、船の建造費も高くなります。
建造費が高いと言う事は、当然、建造するための日数・人手も多く必要です。

織田信長豊臣秀吉も「鉄甲船」(てっこうせん)を作らせていますが、織田信長の時で、九鬼嘉隆の6隻、滝川一益の1隻です。
豊臣秀吉の朝鮮攻めの際にも、鉄甲船があったとされていますが、数は不明です。

一概に比較はできませんが、太平洋戦争の開戦時でも、日本海軍の戦艦は10隻ほどです。
もっと、あった方が当然有利なわけですが、当時の日本国と言う国家の力を持っても、莫大な予算と増設設備が必要であるため、戦艦は1年に1隻くらいしか作れていません。
よって、戦国時代に大型の軍艦を作ろうと思っても、そう簡単に作れるものではなかったと考えて良いでしょう。

この戦国時代の豊臣秀吉による朝鮮戦争の時点でも、ガレオン船は日本で作られていません。
実際にガレオン船が、建造されるのは徳川家康が関ケ原の戦いを制したあとです。
すなわち、海外との「交易」を目的に伊達政宗や徳川家康が、ガレオン船を日本の船大工に建造させている訳ですが、海外と交易するとなると、遠洋航行に適した速度もある頑丈な船と言う事で、ガレオン船が良いと言う判断になったのでしょう。

もともと、ガレオン船の用途は、商船ですので、宣教師が乗ってきた船も、日本人から見れば商業用と見えていたとも考えられます。
しかし、搭載していた「大砲」は、日本は遅れており、使えるぞと言う事で、積極的に採用され、大阪の陣の際にて徳川家康は、飛距離がある最新鋭の外国製大砲を使用しました。

ただし、海外では、拿捕したガレオン船を「軍艦」として、用いる場合もありますが、結局は「用途」と「建造日数」の問題で、日本では戦国時代の合戦にて、つかわれることはなかったものと推測できます。

恐らく「鉄板」を貼った、鉄甲船の方が、ガレオン船よりも建造日数も建造費も高かったはずですし、船の強度・防御力に関してはガレオン船より強かった事でしょう。
でも、重い船ですので、速度はでませんので、遠洋航海には向きません。
すなわち、瀬戸内海向けと言える軍艦ですが、航行が少し制限される瀬戸内海であれば、速度が出るガレオン船も、船足を出せず、鉄甲船の方が強かった可能性があります。
しかし、海外の軍艦は、近海での戦闘を想定していると言うよりは、遠洋航海して遠いところでの砲撃戦などを想定しています。
すなわち、船足も速くないと、海の真ん中で食糧不足などに陥るわけでして、このように、世界一周の幕開けとなった広い海を前にしては、使用する海域に応じた船を用いるのが、もっとも理にかなっている訳です。

そのため、戦国時代に日本に来航したガレオン船を見ても、日本近海では従来の安宅船で戦闘には十分な訳ですし、どんなに優秀な船を持っていたとしても、それが最強ではないことは、太平洋戦争の戦艦大和・戦艦武蔵の最後を見ても、理解できると言う事になるのではないでしょうか?

海を良く知らない方にはわからないかも知れませんが、海の怖さは、当時の戦国武将も良くわかっていたはずです。
簡単に大型のガレオン船を使った方が、より強かったのでは?と感じるかも知れませんが、太平洋戦争時の日本海軍ですら、本土防衛が主任務ですので艦船の速度は遅めで、鉄甲船のように防御力・攻撃力が重視です。
それに対して、アメリカ海軍の軍艦は、遠くまで行く必要があったので、速度を重視しており、同じ軍艦でも用途によって性能が分かれます。
例えば、山道を走るのに、重い戦車では向かないのと同じでして、そのフィールドに応じて最適な運用方法と言うものがあるのです。

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