カテゴリー: 西軍の関ヶ原史跡

平塚為広 平塚為広碑 名門三浦家の誇りを持って大谷吉継と運命を共に【関ヶ原の史跡】

関ヶ原の戦いの際、大谷吉継陣跡よりも、敵の東軍を先だって迎え撃つような形で布陣したのが、平塚為広(ひらつか-ためひろ)です。平塚家は、相模・岡崎城を本拠地にもした、もともと相模の名門・三浦氏の氏族で、三浦為高が平塚郷(神奈川県平塚市)を領地...

毛利秀元とは~毛利秀元陣跡と安国寺恵瓊の陣跡~なんで南宮山の高所に陣を?

しかし、スゴイところに陣地を構えたものです。毛利秀元は・・。と言う事で、南宮山(なんぐうさん)にある毛利秀元の陣跡を訪問して参りました。関ヶ原の戦いの際に、毛利秀元が陣を置いた場所は、岐阜県垂井町にある南宮大社から山登りとなります。まずは、...

長宗我部盛親陣址~九十九坊・栗原連理のサカキにあった陣跡【垂井町の関ヶ原合戦史跡】

長宗我部盛親の陣跡(長宗我部盛親陣址)は、垂井町栗原にあります。約6000の兵にて栗原山麓に陣を置きました。長宗我部盛親は、長宗我部元親の4男となります。長宗我部元親は1599年5月に死去しており、その後を長宗我部盛親が継いでいました。長宗...