関ヶ原町の観光スポット

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平塚為広 平塚為広碑 名門三浦家の誇りを持って大谷吉継と運命を共に【関ヶ原の史跡】

関ヶ原の戦いの際、大谷吉継陣跡よりも、敵の東軍を先だって迎え撃つような形で布陣したのが、平塚為広(ひらつか-ためひろ)です。平塚家は、相模・岡崎城を本拠地にもした、もともと相模の名門・三浦氏の氏族で、三浦為高が平塚郷(神奈川県平塚市)を領地...

小川祐忠とは~関ヶ原のあと相模・津久井に移り住んだのか?【関ヶ原の寝返り武将】

小川祐忠(おがわ-すけただ)は、小川伯耆守入道の子として生まれましたが、生年は不明ですが、1550年生まれ?と推定されます。この時、父・小川伯耆守は六角氏の家臣て、佐和山城主ですので、生年が確かだと佐和山城で生まれた可能性があります。戦国大...

池田輝政陣跡~安王・春王の墓と共にある貴重な戦国史跡【垂井町の関ヶ原合戦史跡】

池田輝政は三河・吉田城主15万2000石で、正室は徳川家康の娘・督姫です。吉田城も督姫も、豊臣秀吉のお蔭と言う事ですが、石田三成と対立し、関ヶ原の戦いでは徳川家康に従いました。岐阜城攻めでは福島正則と共に先陣を務めて戦功を挙げています。関ヶ...

細川忠興陣跡~越中頭成兜を被り関ヶ原で奮闘

細川忠興(細川越中盛守忠興)は5400を率いて徳川家康に味方しました。細川忠興の正室は明智光秀の娘・細川ガラシャです。石田三成が挙兵して、大阪城付近に豊臣家の人質として滞在していた、大名の妻子らを一時、西軍の人質としますが、その時、細川屋敷...