関ケ原史跡観光情報

実際に関ヶ原を訪問した際の行程と所要時間などの詳細

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このページでは、私が実際に「関ヶ原」の史跡巡りを行った際の行程や観光所要時間情報などを残しておきたいと存じます。
まず、今回、関ヶ原は2016年4月の「平日2日間」の行程で計画し、訪問させて頂きましたことをご報告申し上げます。

目次 contents

東海道新幹線で岐阜羽島駅へ

JR東海道新幹線の東京駅「始発」(朝6:00発)となる新幹線「のぞみ1号」で西上する作成を取りました。(実際に乗車したのは新横浜駅からです。)
ただし「のぞみ」は岐阜羽島には停車しないので、名古屋駅にて「ひかり495号」に乗り換えて、岐阜羽島駅に朝7:37着となります。
レンタカー屋さんが開店する時間も、だいたい朝8時が多いので、時間的にもちょうど良いです。

新幹線は、JR東海のIC予約・乗車システム「プラスEX」にてインターネットで予約して、ICカードで乗車です。
名古屋駅で新幹線を乗り換えましたが、料金は通しで計算されますので「のぞみ」も「ひかり」も指定席でラクラク。
しかも「プラスEX」だとちょっと割引ですので、途中下車しない場合の新幹線利用では、よく使用させて頂いております。

いつもならカーシェアを利用する事が多いのですが、岐阜羽島駅では、タイムズレンタカーを予約しておきました。
軽自動車ですが、その選択理由はこちらのページに記載しております。

岐阜羽島駅は、名神高速のICも近いので、ここから関ヶ原に向かうのは便利です。
高速に乗って、途中の「養老PA」にて軽登山の服装に着替えて、体制を整えます。
そして、養老PAを0825に出発。

表記時間に関して

このページでは「0825」とこのように時間に関しては、時と分の表記を省略して掲載させて頂きます。
0825の場合は、朝8時25分と言う意味になります。
なお、記載している時間は「平日」に「ひとり」で「軽自動車」を使用して、各史跡を周った際の実際の行程消化時間です。
これが、軽ではなく普通自動車ですと、通行や転回、進入が難しい道路もありますので、同じように周れず、時間が余計にかかる場合があります。
また、ひとりではなく、複数人ですと、色々とスムーズには周りにくいので、プラス20%くらい時間を多めに計算した方が無難かと存じます。
以上の点は、念のため、記載させて頂きます。

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関ヶ原の史跡めぐり

本来であれば、最初に「大垣城」へ向かう計画でした。
そして、垂井の史跡から順番に見て進む予定だったのですが、翌日(2日目)の天気予報が悪く、初日(1日目)にできる限り「登山系」を済ませておく方針に変更したのと、宿が養老町でしたので2日目は大垣方面を中心にした方がもともと良かったとの理由から、先に関ヶ原を中心に周るべく、関ヶ原ICへと向かった次第です。

なお、下記では簡単に史跡名称を掲載していますが、詳しい道順や駐車場の場所などは、各史跡の紹介ページにて詳しく掲載させて頂いておりますので、合わせてご覧願えますと幸いです。

更に、途中には戦国時代の関ヶ原関連とは関係のない史跡にも寄っています。
しかし、このページでは純粋に実際の行程をご紹介するため、それらもすべて「掲載」させて頂いておりますので、ご理解を賜りますと幸いです。

脇坂安治の陣跡

名神高速は結構、交通量多かったですので、本当に関ヶ原は現代でも交通の要所です。
関ヶ原ICで降りて、ちょっと南下し、最初に「脇坂安治陣地」を訪れました。
脇坂安治陣の前の道路は、軽自動車がやっと入れるような未舗装の砂利道です。
転回できるスペースもそんなに広くないので、レンタカーは軽自動車にして正解だと悟りました。
0840頃に見学し、脇坂安治陣地は約1分の滞在で、写真を撮影します。

松尾山(小早川秀秋の陣跡)

0845頃、松尾山の麓にある駐車場に車を止めました。
駐車場の場所などは、松尾山の詳細ページに記載致しております。
6台ほど止められる駐車場で先客が3台ほどありましたが、1台は近隣に農作業をしに来ていた車でした。
松尾山へ登山での行き帰りで、すれ違う方は皆無でしたので、残りの2台は、史跡巡りと言うよりは「登山客」のようです。

ちなみに松尾山への登山道は「東海道自然歩道」となっていますので、道は整備されていて概ね歩きやすいです。
道の広さも途中までは作業車が入れる広さになっており、案内板もあり迷う事はありません。
しかし、私が登山で最も嫌いな「せっかく登ったのにまた降りる」と言う、峰越えが途中3つくらいありまして、幻滅です。
ずっと登るだけという行程だったら、どんな山でも登ってみたいものなのですが、登って標高稼いだのに、降りてまた登ると言うのは、本当に効率が悪く思えて、個人的には勘弁してほしいと思います。

松尾山(小早川秀秋陣跡)は手元の計測で標高292m、駐車場からの高低差(比高)は190mです。
日頃、運動不足の体には堪えますが、小早川秀秋陣跡からは関ヶ原の街並みの眺めがとても良いです。
麓の駐車場からの往復で、私の足では約65分の行程でした。(一般的には80分ほど見た方が良いかも知れません。)

トレッキングポールを持参したのですが、足の親指が靴の中で擦れて痛めてしまったようで、このあとずっと痛むようになってしまいました。
ちなみに、養老PAで購入したペットボトルはすべて飲んでしまい、のどが渇きます。

赤座直保・小川祐忠・朽木元綱の陣

その後、史跡としては「不明」になっており、訪問ポイントはありませんが、赤座直保・小川祐忠・朽木元綱陣跡を想像しながら、名神と新幹線の高架を越えて、中山道に出ます。
しかし、カーナビの地図がちょっと古いと言うか頼りなくて、途中、行き止まりになってしまい、引き返すなどの行動も必要となりました。
ただし「軽自動車」ですので、狭い所でのUターンも、比較的苦労せずに行え、本当に狭い集落の道も安心して進めました。
そして、大谷吉継の陣へと向かいます。

矢尻の池(矢尻の井)

中山道、大変良い雰囲気です。
そして、国道に出る手前で「大谷吉継」と言う文字が刻まれている石標が目に入り「なんだろう?関連する史跡があるのかな?」と気になって、急遽、車を止めて写真撮影しました。
下記の物です。

しかし、これは「ここからの距離」を示す石標になっているようです。
このあと関ヶ原を周っている際に、同じような形の石碑をいくつも見かけましたが、いずれも距離を示しておりました。
立派な案内があると言うのは、大変ありがたいことなのですが、あまりにも立派な「石標」なので、史跡巡りをする者にとっては「ここが史跡だと示す印」とも見えて、ちょっと混乱してしまいます。
そのため、最初、車を降りて撮影してしまった次第です。

ちなみに、上記写真の石標の近くに「矢尻の池(矢尻の井)」があったので、ついでに撮影しておきました。

矢尻の池(矢尻の井)と言うのは「壬申の乱」と言う、西暦672年にあった古代の日本においては最大の内乱です。
関ヶ原の中山道沿いには、いくつか壬申の乱の史跡が点在します。
ちなみに、当時の兵士が水を求めて、矢尻で穴を掘ったところ、水が湧いたと言う伝承のある井戸だそうですが、新しい道ができたら枯れてしまったそうです。
念の為、場所をご案内致しますと、下記の地図ポイント地点となります。

以上、通り道でしたが、矢尻の池(矢尻の井)をあとにして、中山道を西へと進みます。
しかし、ジュースを買いたくても、なかなか自動販売機が見当たりません。

大谷吉継の陣跡・展望地

国道に一旦出ると、すぐに右折して旧中山道を進むと、若宮八幡神社へ繋がる参道入口に、新しくできた「駐車場」がありました。
1000着です。
この駐車場は、関ヶ原を紹介しているサイトでも古い情報だと、大谷吉継の陣(大谷吉継の墓)は駐車場ナシとなっいますが、現在は駐車場が整備されています。
これも、非常にありがたい事ですので、さすが関ヶ原町さんは良く改善を図っておられると存じます。

駐車場の場所は、当方特製のGoogleマップにてご確認願います。

ここから階段を登って、まずは若宮八幡神社を目指しますが、若宮八幡神社の手前はJR東海道本線の「踏切」を渡ります。
ちょうど踏切が鳴って、列車が通過しましたが、撮影してみると「特急・しらさぎ4号」でした。
金沢から名古屋行きの特急ですね。

踏切を渡ると、すぐに若宮八幡神社に出ます。

その神社の右脇に登山口があります。
大谷吉継の史跡は、そんなに比高も無いので、トレッキングポールは不要です。
まずは「松尾山の展望地」へ向かい、その後、ちっょと道を戻る感じで「大谷吉継の陣跡」を撮影。

大谷吉継の墓・湯淺五助の墓

そして、更に奥へと進んで「大谷吉継の墓・湯淺五助の墓」を謹んでお参り致しました。
詳しくは下記のページをご参照願います。

駐車場に戻った時間は、1030でしたので、所要時間は30分でした。
しかし、駐車場付近にも自動販売機が無く、喉が渇いたままです。

平塚為広の碑

国道21号に出てすぐの信号を左折します。
東海道線のガードをくぐって登ったカーブの右脇に、平塚為広の碑があります。
ちなみに、ちょっと先には、大谷吉継の墓に通じる、別の登山口もあります。
その付近まで車で行って、道路をUターンし「平塚為広の碑」付近に車を止めました。
この道路は路肩がちょっと広くて、駐車禁止にはなっていません。
ただし、平塚為広の碑の付近は「カーブ」でして、見通しが悪いですので、短時間とはいえ、車を止める場所はご配慮願いたく存じます。

西首塚(供養堂)

再び国道52号に出て、今度は東へと進めます。
「西首塚」(供養堂)の脇には、3台ほど止められる駐車場がありますが、国道沿いで駐車場も広くは無いので、ちょっと止めにくいと申しましょうか?、急に曲がったりするのは危ないです。
誰も、こんなところで曲がるとは思いませんからね。
早めにウインカーを出して、追突されないように注意しましょう。
1035に出発。

藤堂高虎京極高知の陣跡

充分に安全を確認しつつ、国道から住宅街へと入り、狭い道を通って関ヶ原中学校を目指します。
詳しくは下記にて。

福島正則の陣跡(春日神社)

福島正則の陣跡は、関ヶ原中学校から西側にある「春日神社」の境内にあります。
そんなに大きな神社ではありませんが、北側にある道路沿いに「駐車場」が完備されています。
1045に到着し、写真だけ撮影して次の南天満山を目指しました。
神社近くに自販機があったのですが、車を止めにくい細い道でしたので断念し、先を急ぎます。

宇喜多秀家の陣跡(天満神社)

南天満山・天満神社「宇喜多秀家の陣跡」は、駐車場が無いと言う事前情報で、どうしようか?と、ちょっと不安だったのですが、林の中を進む、天満神社への細い道は車も入れましたので、進んでみました。
未舗装の砂利道でしたが、道路自体は普通車でも通行できる広さです。
しかし、止められるスペースは非常に限られますが駐車禁止の標識はありません。
そして、天満神社の入口付近の「路肩」に軽自動車(レンタカー)を止めました。
1050に到着です。
路肩もそんなに広くはないので、止める際には消防自動車などが通行すると仮定して、走行を妨げないよう配慮が必要です。

宇喜多秀家陣地となっている天満神社へは、道路わきの入口から見えますで、所要5分といったところです。

なお、見学後は、未舗装の道を戻る必要がある訳ですが、方向転換できるスペースはこの付近にはありません。
軽自動車でしたので、なんどか切り返して方向をかえられましたが、普通自動車の長さですと、ちょっと困難かと存じますので、念のため記載しておきます。

関ヶ原の戦い開戦地

関ヶ原の戦い開戦地の近くには「駐車場」が完備されています。
約10台も先客の車が止まっていましたが、全部「軽自動車」でして、ちょっと???でしたが、すぐに理由がわかりました。
皆様、ゲートボールを楽しまれている方々でした。
関ヶ原の戦い開戦地の脇には広場があるのです。

小西行長の陣跡(北天満山)

関ヶ原の戦い開戦地の奥には「小西行長の陣跡」がありますので、セットで訪問となります。
北天満山の麓に陣跡の石碑があり、平地移動となりますので安心して下さい。
駐車場に戻って1105に出発です。

島津義弘の陣跡

島津義弘陣跡も事前に調査した情報では、イマイチ場所が分かりにくかったのですが、駐車場じたいは「神明神社」の東側となります。
駐車場に車を止めた場合には、島津義弘陣跡まで往復で5分といったところでしょうか?
1115に出発しますが、相変わらず、自動販売機が・・・。

関ヶ原の戦い決戦地

小関地区集落の狭い道を抜けて、国道365号を横断し「関ヶ原の戦い決戦地」を目指しました。
畑の中にありますが、道路も広くて駐車禁止ではないので、短時間であれば路肩に止められます。

笹尾山・石田三成の陣跡

そして、すぐ近くにある石田三成の陣跡がある「笹尾山」の駐車場へ入りました。
1120着で、とても大きな駐車場ですし、近くに公衆トイレもあります。
先客は1台で、あとから2台来ていました。いずれも史跡お目当てのようです。
さすが、石田三成は人気です。
しかし、ジュースの自動販売機が無い・・。

島左近の陣跡・蒲生郷舎の陣跡

この駐車場脇にある「防護柵」の両脇は、島左近の陣跡と蒲生郷舎の陣跡にもなっておりますので、セットでと言うよりはお見逃しなく。

1140に出発しますが、ジュースも買えず、昼になりましたので、お昼ごはんを食べる事にしました。
関ヶ原案内地図を見て、次に行く史跡の方角にある「焼肉ハウス・いぶき」さんに行って見る事にしました。

軽食喫茶・こだま

しかし、その「焼肉ハウス・いぶき」さんは、この日は「お休み?」のようで、入口にロープが張られています。
そのため、その道路の先にある「軽食喫茶・こだま」さんに寄らせて頂きました。
1150着です。

軽食喫茶・こだまさんは、民宿のようですが、ランチ営業もしています。ランチタイムは11時〜14時と記載されています。
先客はいませんでしたが、あとから1名+1名さまが来店されました。いずれも女将さんと親しく話しておられましたので、常連さんのようです。
通常の定食などはすべて500円(税込)で安いです。
しかし、喉も渇いていたので、日替わり定食・コーヒー付(850円)をお願いしました。(アイスコーヒーに変更可能)
メインは鯖焼きでしたが、最近は太り気味なので、魚定食でもOKです。おいしく頂きました。
水も3杯くらいお代わりさせて頂き、失礼致しました。
自動販売機があっても、気軽に車を止められるような状況では無かったもので・・。

なお、昔はこの辺に遊園地があったようの記憶があるのですが、気のせいでしょうか?

奥平貞治の墓

奥平貞治の墓は玉集落の中にある、民家と民家の間の先にあります。
場所がわかりにくいですので、当方のオリジナル地図のポイント地点を良くご確認願います。
ここも、駐車場がありません。
集落自体にそんなスペースが無いです。
道路では駐車禁止の標識が無かったように思えますが、集落の中は、ちょっと道路が狭くて止める訳にも行きません。
そのため、国道の崖下あたりにちょっと広い路肩があったので、そこに止めて徒歩にて向かいました。
見学所要時間は約5分で、出発時間は1225です。

関ヶ原ウォーランド

ここまで、想定していた所要時間よりも2時間ほど早く消化しておりまして、時間が無ければ省こうと思っていた「関ヶ原ウォーランド」に寄りました。
関ヶ原ウォーランドの見学所要時間は約30分くらいだと思いますが、私は20分で切りあげて、先を急ぎます。
自動販売機ありました。
1250に出発。

岡山烽火場(黒田長政・竹中重門の陣跡)

関ヶ原バイパスに入って、金毘羅山神社(岡山烽火場)を目指します。
麓に駐車場があり、先客1台ありました。
しかし、岡山烽火場には誰もいませんでした。
見学所要時間は10分くらいでした。

細川忠興の陣跡

関ヶ原バイパスを横断して、細川忠興の陣跡を撮影しましたが、あとで自宅で写真を見ると「失敗」していたので、すみません。
また、行きたいと思います。
また、行って、新たに撮影した写真を使用しました。

東首塚、井伊直政・松平忠吉陣跡

関ヶ原駅の西側方向にあります。
1315頃に到着。
東首塚の境内なのですが、南東の隅っこに「井伊直政・松平忠吉陣跡」の看板もあります。
古いトイレも境内にあり、西側の道路路肩に車を止めました。

関ヶ原町歴史民俗資料館

1325に駐車場に到着。
先着は5台ほどで、資料館の中も3組程見学されておられました。
資料館の入口脇には戦国グッズ店もあり、入店してみました。
気のせいでしょうか?、関ヶ原以外にも色々と見て回っている私には、なんか商品価格設定が「高い」ような気がしましたが、トートバックなど3200円分お買い上げです。
残念ながらクレジットカードは使えないようでした。

徳川家康の最後陣跡(床几場)

関ヶ原町歴史民俗資料館の道路を挟んだ広場にあります。
トイレ完備。

田中吉政の陣跡

あと、田中吉政の陣跡も近くですので、車は資料館に止めたまま訪問させて頂きました。
1345に出発。

いざ関ヶ原

本多忠勝の陣へと向かう途中、関ヶ原駅前を通りましたら、新しく完成した「いざ関ヶ原」が目に入ったので寄らせて頂きました。
駐車場が裏手に完備。
お土産物など2400円お買い上げ。
トイレやコインロッカー、自動販売機もあります。

本多忠勝の陣跡

本多忠勝の陣跡も、ちょっとわかりにくいです。
公門第2公民館の建物西脇にあります。
道路からは民家脇の人が歩ける細い通路を入って行きます。
駐車場は無いのですが、ヒントとしては近所に、店舗や病院の駐車場があります。

島津豊久の碑

関ヶ原ICより南側の伊勢街道沿いにあります。
カーブの坂道沿なのですが、路肩がちょっと広いので止められました。
詳しくは下記にて。

阿多長寿院盛淳の墓

島津豊久の碑にあった案内板は、島津家に関する史跡が掲載されておりまして、近くに家臣の墓があるとの事です。

そのため、通り道でもありましたので、伊勢街道にて島津勢の撤退に貢献した阿多長寿院盛淳の墓がある琳光寺にも寄りました。
上記が案内板の説明です。
1425に出発。

南宮山方面の史跡めぐり

ここでまだ、14時30分くらいと、予想よりは早く消化できています。
2日目の天候が悪い予報でしたので、疲れた足ではありましたが「南宮山」へ登る事を決意しました。
南宮山に向かう途中にある史跡を制覇しつつ、南宮大社を目指すことにします。

丸毛兵庫頭・稲葉備中守等奮戦の地

名神をクグって、象鼻山の麓、多良街道沿いに、なにやら石標があるのが目に入り、すかさず車を路肩の駐車スペースに止めます。
「丸毛兵庫頭 稲葉備中守等奮戦の地」と言う事ですが、詳しい事は帰ってから調べるとして、写真だけ1枚撮影。

長宗我部盛親の陣跡

長宗我部盛親の陣跡は予想していた場所よりも南側にありまして、ちょっと、分かりにくかったです。と言うよりは、ほとんど訪問される方も少ないものと推測致します。
県道215号沿いを注意して運転していると、寺院跡となる九十九坊・栗原連理のサカキへの小さな道標が設置されています。
そこから、未舗装の農道のような細い道を山側に入って行きます。
道を進み終点の地点が、長宗我部盛親の陣跡となっており、車1台くらいでしたら、なんとか方向転換も可能です。
地図をよく見てご訪問願いたく存じます。
1440出発。

長束正家の陣跡

長束正家の陣跡は、地図を良く見て行けば到達できます。
ただし、地図にある南側の道路は、道路があるのか/ないのか?もわかりにくい状況でして、実質的に東側からしか入れません。
駐車スペースはとても広いので、方向転換も大丈夫です。
1445に出発。

南宮山へ(南宮大社の駐車場)

南宮山への登山道沿いには「安国寺恵瓊の陣跡」と「毛利秀元の陣跡」の2つをセットで周れます。
南宮大社の左側から奥へと続く道を「南宮山ハイキングコース」の標識どおりに進んで行きます。
1450に駐車場から出発。

安国寺恵瓊の陣跡

安国寺恵瓊の陣跡へは、駐車場から7分くらいだったと思います。
その左からいよいよ、南宮山への本格的な登山道となります。

毛利秀元陣の陣跡

毛利秀元陣址は南宮山の「展望台」となっていますが、山頂に至るまでの途中にあります。
しかし、標高は実測で401m、駐車場からの比高で354mと、普通の山城も顔負けするくらいの高低差を登って行きます。
道は整備はされていますが、浮石なども多いガレ場もあったので、できればトレッキングシューズなど、それなりの覚悟と装備が必要です。
私の足で片道55分も要しました。比高354mは、山城でもなかなか存在しない苦行です。
帰りの下りは45分で、往復100分も必要でした。
複数人で行動する場合には、120分以上は見た方が良いでしょう。
途中ですれ違った方は、登山客が男性1名と女性2名、何も持っていない地元の散歩高齢者?さんが1名、あとから駆け足で登ってきた男性が1名でした。
途中にトイレなどもありませんので、万全な体制でお願い申し上げます。

吉川広家の陣跡

時間は1650。
まだ夕暮れでは無かったので、他にも周りたかったのですが、南宮山に登った事でもはや疲れ果てまして吉川広家の陣だけ行って、ホテルに向かう事にしました。
不破高校の西側にある空き地に看板があります。
看板脇の道路・路肩に車を止めせて頂きまして、写真だけ撮影致しました。

養老温泉「ゆせんの里」ホテルなでしこ

宿泊予約していたのは、養老町にある「ホテルなでしこ」さんです。
掛け流しの温泉ですので、良湯でしたし、シングルの部屋も広くて施設的に良かったですので、車で関ヶ原の史跡を周る際に宿泊する場所としてはお勧めできます。
しかし、疲れ果てたせいか、元気がなくて、夕食を頂いたらすぐに寝ました。

養老温泉・ゆせんの里「本館」みのり乃湯と「ホテルなでしこ」のレポートはこちら

垂井町の史跡と残りの関ヶ原合戦史跡巡り

さて、2日目の朝を迎えまして、朝7時に朝食を取り、早めに朝7時40分頃にホテルを出発しました。
前日夜に見た天気予報では午前中は「曇り」の予報だったのですが、目が覚めますと既に雨が降っている状態でした。
そのため、この日はもう天気は諦めて、できる限り多くの史跡を周る事に作戦変更し、予定よりも早く出発した次第です。
昨日、ホテルに向かう途中で、またしても石碑を発見してしまいまして、まずはそこに寄ってみる事にしました。

金谷川原古戦場

昨日、通りかかった際には、疲れていたので戻らなかったのですが、朝一番で雨の中、寄って写真だけ撮影致しました。

島津豊久の墓と瑠璃光禅寺

島津豊久の墓は上石津町と言う所にあります。
行程的には効率が良くありませんが、西美濃は結構、みなさん、かなりスムーズな運転をされておりまして、ストレスなく走行でき、本当に早く到着でき、助かります。
宿からは車で30分くらいの距離です。
事前の計画では、時間があったら寄ろう程度の考えでしたので、下調べも充分ではなく、ちょっと迷いました。
しかし、なんとか島津豊久の墓もお参りし、菩提寺となる瑠璃光禅寺も雨の中撮影させて頂きました。

垂井城

次に向かったのが、昨日夕方に寄った方向に戻る形のドライブとなりますが、垂井城跡へと向かいました。
0920に到着です。
垂井城跡も、時間が余ったら行こう程度の考えでしたので、あまり下調べしておらず、写真だけ撮影。

池田輝政の陣跡

次には関ヶ原関連の史跡コースに戻りまして、まずは国道21号沿いの池田輝政陣跡です。
しかし、池田輝政陣跡と言うよりは「春王・安王の墓」と言う方が有名?なようでして、春王・安王の墓と言う案内が目印となりました。
焼肉屋の手前からの細い道を奥に進むと、駐車スペースがあります。
ただし、道が狭く、軽自動車でギリギリと言う漢じでした。

浅野幸長の陣跡

浅野幸長陣跡は国道21号から、旧中山道へと入りまして、途中にある「垂井の一里塚」が目印となります。
その「垂井の一里塚」の場所が、浅野幸長陣跡を兼ねています。
駐車場は無いのですが、手前の路肩が広いところに短時間止めさせて頂き、感謝しつつ写真1枚だけ撮影させて頂きました。

山内一豊の陣跡

そのまま国道を渡って旧中山道を西へと進むと、山内一豊陣跡です。
山内一豊の陣跡脇に大きな空き地があり、車を止められます。

桃配山・徳川家康の本陣跡

徳川家康が最初に本陣を置いた桃配山です。
石碑は桃配山の上の方と言うよりは、国道21号沿いのちょっと上がった場所でして、雨でしたが足元も問題無しです。
駐車場は国道の反対側にありました。
以上で、関ヶ原の戦い関連の史跡はすべて「制覇」となります。

次には、竹中半兵衛関連の史跡をいくつか周りますが、これ以降も事前の計画では、時間があった場合のみでしたので、下調べは不十分でした。
ただし、地図だけはだいたい調べてありましたので、迷うことなく行けた次第です。

五明稲荷神社

黒田長政が幼い頃、竹中半兵衛に命を助けてもらった地です。
脇の集会所に駐車できました。

竹中氏陣屋跡

0955に到着。
竹中氏陣屋跡の立派な石垣と門をちょっと過ぎた右側に、観光用の無料駐車場があります。
しかし、竹中氏陣屋跡の見学できる場所としては、門の部分だけとなります。

明泉寺

竹中氏陣屋からほど近い場所にあるのが明泉寺です。
竹藪の中に小西行長の墓?(供養塔)があると言うので訪問してみましたのですが、その竹藪が、まさに「ヤブ」でして、道もわからず撤退しました。
なお、せめて菩提山城の遠景でも撮影しようと思っていたのですが、雨天のため、菩提山城には雲が掛かっており、断念しています。

禅幢寺

竹中氏の菩提寺です。
本堂左の墓地に、竹中半兵衛の墓などがあります。
他にも色々と有名な方の墓があるようですが、事前調査不足の為、良くわからず、今度は雨ではないときに、また来たいと思っています。
1020に出発。

美濃国分寺跡

次には美濃赤坂を目指しましたが、途中にて「美濃国分寺跡」の看板が目に入り、写真だけ2枚撮影。

雨でしたが、車は2台ほど先着があり、意外と訪れる方が多いようです。
散歩?している方もいました。

お茶屋屋敷跡

美濃赤坂にある「お茶屋屋敷跡」の付近も道がとても狭いです。
ただし、駐車場は30台以上と、たくさん止められるようになっており、実際に半分くらい埋まっていました。
しかし、お茶屋屋敷跡の園内は、造園業者さんしかいませんでした。

岡山本陣跡

岡山本陣址(勝山)へは、東隣にある安楽寺から登れます。
詳しい事は下記ページにてご確認願います。
雨でしたが、道はコンクリートで固められており、足元も悪くありませんでした。
1110出発。

大垣城

大垣城も雨天でしたが、見学させて頂きました。
1130着で1205発です。

以上で、関ヶ原の戦いにおける前哨戦の史跡もいくつか周ることができましたが、渋滞も無く、予想時間よりもだいぶ早く周る事ができました。
他にもあると思いますが、これまでの行程で50箇所以上の史跡を周っています。
当然、大垣周辺までは事前調査不足であとは良くわかりません。
その為、あとは下記の行程にて前進してみました。

その他オマケで巡った史跡

時間はまだ昼12時でして、あと数時間は周れます。
雨ですのでもう帰ろうかとも考えましたが、せっかくですので、全くの予定外として下記のようなところを訪問致しました。
なお、下記以降は、元々計画していなかったのと、関ヶ原近郊とも言い難いため、関ヶ原マップには掲載しておりませんこと、念のため記載させて頂きます。

曽根城

大垣の北方にある、稲葉一鉄の居城だった曽根城です。
例によって、ホテルの朝食バイキングでお腹がいっぱいなので、昼食は軽く済ませようと考え、途中のコンビニで「サンドイッチ」をひとつと、栄養ドリンクを購入しました。
そのあと、岐阜城での宿題となっている、織田信長の屋敷跡など、麓の見学をしようかな?と考えましたが、それだけでは帰りの新幹線までに時間が余りそうでしたので、郡上八幡を目指す事にしました。
1230出発。
しかし、前日の疲労で右足が筋肉痛になっており、アクセル・ブレーキを踏むのが苦痛となる運転でした。

西美濃三人の稲葉一鉄とは~曽根城主の稲葉貞通と深芳野も

郡上八幡城

岐阜各務原ICから高速に乗ろうとするカーナビと戦いながら、河渡から長良川沿いをずっと岐阜方面に進んで、関ICから東海北陸自動車道に入り、郡上八幡ICで降りて到着です。
麓の古い町並みもちょっと見ましたが、やはり事前調査を全くしていないので、よくわからずじまいです。
ただ、幸いにも雨は降っていませんでした。(そのあと降り出したようです。)
郡上八幡は、天気の良い日にでもまた訪問してみたいところです。
1425に出発。

郡上八幡城の訪問記~東常慶と遠藤盛数の争いと郡上八幡城のみどころ

日本まん真んなか温泉

出張時には1日1湯がノルマですので、日帰り温泉に立ち寄って、汗を流してから、岐阜羽島駅を目指しました。
1500に到着し、1600頃に出発。

日本まん真ん中温泉「子宝の湯」~長良川鉄道「みなみ子宝温泉」駅が日帰り温泉

右足の疲労は、残ってはいるのですが、痛みはなくなり、快適に高速を運転できました。

帰り道には途中、尾西ICと、一宮JCTの間が「渋滞」と表示されていましたが、恐らくは、名古屋方面に向かう片側車線だけ混雑しているものと推測し、そのまま高速で岐阜羽島ICに行く決断をしました。
幸いにも予測どおり大垣方面の車線はスイスイでしたので、よかったです。
雨は止んでいました。
1700頃、新幹線の時間の約70分前にレンタカーを返しました。
レンタカーさん、2日間、ありがとう~。
そして、プラスEXのキップを、スマホで予約変更し、予定より1時間早く、新幹線に乗車致しました。
しかし、非常に疲れ果てていましたので、グリーン車を選択です。

ただ、時間ギリギリの乗車となってしまい「夕食」(弁当)を買えませんでした。
2分くらい時間があったので、ホームで買おうと思ったのですが、探しても岐阜羽島はホームに売店がないんですよ。
そういえば、昨年に米原から「ひかり」に乗車した際、岐阜羽島駅は、ホームに売店ないな?なんて、漠然と見ていたのを思い出しました。

最近の出張時での帰りは、飛行機でも新幹線でも、だいたい「通路側」の座席を取っています。
到着時に少しでも早く降りられるようにです。
と言う事で、通路を通る車内販売にて買い物もしやすいはずだったのですが、車内販売がやってきたのは、熱海駅を過ぎた頃でして、もう買う気にもなれなかったのは、言うまでもありません・・。
食堂車も今は無いですし、車内販売も、ワゴンの数が、昔より減っているのかな?と感じます。
新横浜駅を降りて、フード街にて夕食を取ったのは、言うまでもありません。

関ヶ原古戦場は1日で周りきれるのか?

結論から申し上げますと、小早川秀秋の松尾山、毛利秀元の南宮山の陣跡も含めた、東軍・西軍・寝返り組の「陣跡」だけでしたら、観光に必要な時間は約9時間でした。
ただし、今回のように「軽自動車」にて「1人」で周ればの話です。
なので、通常の場合には、2日間(1.5日間)掛かると考えた方が無難だと存じます。
もちろん、レンタサイクルの場合には最低2日間と言う事になるでしょう。
電車で関ヶ原駅に降り立つ場合には、遠い所はタクシーを利用するなど、うまく考えると良いかもしれません。

以上、1万文字以上と言う、非常に長い文章になっていましたが、最後までお付き合い賜りました方には、深く御礼を申し上げたいと存じます。

<追伸>

帰った翌日には体が重く、3日連続で温泉に入りました。
それでも、右足はしばらく筋肉痛状態でしたが、痛みはなく生活には支障はでませんでしたこと、ご報告申し上げます。
今回は急ぎ足でしたが、今度はゆっくりと「関ヶ原」を再び訪問したいと願っております。

1分でわかる「関ヶ原の戦い」

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