関ヶ原古戦場の決戦地碑~関ヶ原合戦の激戦地となった場所

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関ヶ原の戦いは、東軍・西軍合わせて15万とも言われる、規模の大きな合戦でした。
簡単に申し上げますと、関ヶ原のあちこちで、生き残りをかけた壮絶な戦いが繰り広げられた訳ですが、その中でも最大の激戦となった場所が、ここ「関ヶ原の決戦地」だとされています。

まぁ、理由は簡単です。
この石碑が建つ場所のすぐ西には「笹尾山」があり、石田三成が陣を構えた場所です。

西軍における、実質的な総大将は石田三成ですので、守る方も、攻める方も、精一杯戦ったと言う事なのでしょう。

他にも「開戦地」と言う石碑が小西行長の陣跡近くにありますが、この石田三成の陣跡から近いこちらは「決戦地」と言う事になります。




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Yahoo!地図もそうなのですが、Googleマップ共に元々表示されている国史跡・決戦地の「場所」は、間違っています。
決戦地はこの辺り、一帯だったと解釈すれば、決して間違いと言う事ではないのですが「決戦地の石碑」が建っている場所は下記の地図ポイント地点となります。

JR関ヶ原駅から歩いてきますと、約30分の距離となります。
この周辺は畑で見通しが良いですし、誤差と言う範囲でもありますが、念のため、正しい場所は上記であることを明記させて頂きます。

駐車場はありませんが、道幅は比較的広く、駐車禁止ではないので、路肩に車を止めて短時間の見学は可能です。
この辺りから、笹尾山(石田三成陣跡)もすぐ近くに見えます。

関ヶ原古戦場決戦地から笹尾山を望む

しかし、現地を訪れて分かりますが、西軍はやはり微高地と有利な場所に陣を構えていますので、東軍は概ね、低い土地から高い土地へ登るような形での戦いを強いられます。
午前中、両者互角の戦いだったとされますが、島左近の活躍もあり、概ね守りを突破されていないことを考慮しますと、若干、西軍が優勢だったのではないでしょうか?

最後には「心理」ですので、小早川秀秋が寝返ったことで、戦力的に不利になったと言うよりは、西軍の末端兵は、何時間も戦ってもう疲れていますし、心理的に戦意を喪失し、逆に東軍としては味方が増えたと言う事で、更に士気も上がったのではないでしょうか?

こうして、西軍は総崩れとなったのでしょう。

両者を称えるように、石田家と徳川家の家紋が入ったのぼりも建っている決戦地。
ここを訪れたあなたは何を感じますでしょうか?

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