東軍の関ヶ原史跡

細川忠興陣跡~越中頭成兜を被り関ヶ原で奮闘

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細川忠興(細川越中盛守忠興)は5400を率いて徳川家康に味方しました。
細川忠興の正室は明智光秀の娘・細川ガラシャです。

石田三成が挙兵して、大阪城付近に豊臣家の人質として滞在していた、大名の妻子らを一時、西軍の人質としますが、その時、細川屋敷の細川ガラシャは、屋敷に火を放ち、死の道を選択した事でも有名です。

更に本拠地の田辺城(舞鶴城)は、細川忠興の父・細川幽斎(細川藤孝)が僅か500で、西軍の小野木重勝・前田茂勝ら15000から9月13日に和睦するまで守り抜いています。

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18万石だった細川家は戦後、小倉藩39万9000石の大封となりました。

また、細川忠興は実戦に向いている武具、すなわち「甲冑」や「兜」の開発をしたことでも知られます。
関ヶ原合戦では、越中頭形兜(えっちゅうずなりかぶと)を被っていたとされ、関ケ原町歴史民俗資料館所蔵の「関ケ原合戦図屏風」でも描かれています。

さて、細川忠興陣跡の石碑は、ちょっとした公園として2013年3月頃に整備されたようでして、古い観光案内マップなどですと、地図に掲載されていません。
「JAにしみの」の裏手となりますが、付近に行くと方向案内板はあります。

写真失敗したので、また訪れたいと思っています。
改めて撮影して参りましたのが、記事トップの画像でございます。

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