金屋川原の戦い~南宮山側でも戦闘となった関ヶ原合戦の追撃戦

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岐阜県養老町であった金屋川原の戦いは、1600年9月15日、天下分け目の「関ヶ原の戦い」となった際に、戦わずして戦線離脱を図った長宗我部盛親らの部隊が戦闘状態となった合戦です。

西軍として南宮山にて布陣するも戦わずにいた長曽我部盛親らは、石田三成らが敗走したと知り、陣を払って南下し伊勢方面を目指します。

しかし、牧田川に差し掛かると、遅れて関ヶ原を目指し口ヶ島村・岩道村から進出した、松ノ木城主である徳永寿昌・徳永昌重の600と、今尾城主・市橋長勝300、その他、横井時泰・横井時朝・横井時久などの追撃を受けて戦闘状態となったようです。




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東軍は侍81人、雑兵63人もの首を挙げたとされ、金屋の春日神社の近くに首を埋めたとされます。
堤防の下のムクの巨木が、その首を埋めた墓標ともされ、玉泉寺には戦死者を弔った五輪の塔が祀られているとの事です。

牧田川に掛かる多芸橋の北側にある正覚寺の脇にある「須賀神社の境内けに「金屋川原の合戦址」が建立されています。

正直な印象を申し上げますと、関ヶ原の戦いの方が規模的にも大きすぎるので、ここであったもう1つの関ヶ原の戦いは、余りにも知名度が低いです。
養老町も頑張って、最近になり石碑も建てたようですが、大分類上では、この金屋川原合戦も、関ヶ原の戦いとも言えるので、是非注目するべきだとは思います。
しかし、養老町の観光案内などでは、合戦にまつわる案内が一切ないんですよね。
せっかく、このような貴重な史跡があるのですから、もう少し宣伝して行くと良いのではと存じます。

さて、石碑の場所ですが、県道215号の道路沿いに3台ほどの駐車場があります。
しかし、県道は広くない道路ですし、橋の近くなので、結構、交通量もあり、駐車場から出る際には、右の確認が取れにくく、危険を感じました。

下記の地図ポイント地点が、駐車場の場所となります。

長宗我部盛親陣址~九十九坊・栗原連理のサカキにあった陣跡【垂井町の関ヶ原合戦史跡】