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お茶屋屋敷とは
1600年、関ヶ原の戦いにて勝利し、天下を掌握した徳川家康は、全国に主要街道の整備を行った。
やがて江戸幕府を開き、1609年に徳川家康が江戸城から上洛する際に、中山道の要衝であり、徳川家が関ヶ原で勝利すると言う「開運の地」ともなった勝山(岡山本陣跡)の北方に、休泊施設として「お茶屋屋敷」を建設開始した。
この時、美濃の諸大名が動員され、岐阜城にあった織田信長の屋敷、千畳敷御殿など、61棟もこの美濃赤坂に移築させたと言うのでスゴイ。
そして、お茶屋敷には土塁や空壕、そして四隅には櫓も儲けられ、単なる宿泊施設と言う事では無く、砦・城郭と言う防御面もある程度備えた、徳川秀忠ら将軍専用の施設となった。
別名は、御茶屋御殿(おちゃやごてん)、御茶屋(おちゃや)とも呼ばれるが、街道に整備された施設としては日本最大規模とされ、のち宿場に設けられた「本陣」の原型と考えられている。
その後、宿場街の整備が進むと不要となり、お茶屋敷は1640年頃までに取り壊されたと言う。
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現在は創建当時の城郭様式を偲ぶ土塁や空濠の一部を残すだけではあるが、個人所有であるにも拘わらず、ご厚意により無料公開されており、大変貴重な史跡となっている。
また、4月下旬から5月の連休にかけては「お茶屋敷ボタン園」として、東海地方でも有数の見事な牡丹800株が楽しめる。
私が訪問させて頂いた雨の日も、土地所有されている矢橋家さまが手配したと思われる、造園業者が園内の手入れを丁寧に行っていた。
古井戸跡や竹林も趣があって大変素晴らしい。
古いがトイレも園内に完備。
お茶屋屋敷跡へ行き方・アクセス
お茶屋屋敷跡への入口は案内も無いのでちっょとわかりにくくが、正安寺の南側となる。
電車の場合は、東海道本線(美濃赤坂支線)の終点・美濃赤坂駅から歩いて12分。
ただし、支線であり、運転本数も少ないので注意。
車の場合には、路地の道は狭いが、下記のポイント地点に約50台と大きな無料駐車場が完備されている。
方向案内などは少ないので、地図を良く見て出掛けて頂きたいが、交差点(角)では一時停止もしっかり行ってほしい。
比較的近くにある岡山本陣跡とセットでご訪問すると良いだろう。
・大垣城からも近い、杭瀬川の戦いと「勝山」~岡山本陣跡の訪問記
・関ヶ原史跡「実用Googleマップ」~観光のお供に便利な地図