九州での関ヶ原

中川秀成と虎姫とは~周りに惑わされることなくお互いを理解したふたり

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中川秀成(なかがわ-ひでしげ)は、1570年に中川清秀(茨木城主)の次男として生まれました。
母は熊田宗白の娘で、兄に中川秀政がいます。

しかし、その兄・中川秀政、文禄の役で朝鮮半島ら渡っていた際の1592年10月24日、鷹狩りをしていたところ、敵に包囲され殺害されました。
この失態で改易を恐れた中川家では兄の死を「戦死」と報告しましたが、豊臣秀吉の怒りを買います。
ただし、父・中川清秀の賤ヶ岳の戦いでの武功に免じて、中川秀成は兄の遺領のうち半分、播磨・三木6万6千石を継ぐことが許されました。
1593年、の第2次・晋州城攻防戦では1000の動員をするよう命を受けています。

ちなみに、中川秀成の正室は佐久間盛政の次女・虎姫(新庄直頼の養女)ですが、豊臣秀吉の計らいにより嫁ぎました。
しかし、佐久間盛政と言えば、賤ヶ岳の戦いの際に、中川清秀を討ち取った武将です。
そのため、中川家では特に姑(中川清秀の妻である熊田宗白の娘)が、虎姫を嫌ったようで、虎姫は夫の領地に下向することは一度もなく、終生を畿内で暮らしています。
しかし、夫婦仲はよかったようで、嫡子・中川久盛をはじめ、7人の子の母となっています。

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さて、中川秀成の話に戻しますが豊後の大友義統が改易されると、1594年2月、三木城から豊後・岡城7万4000石に移封となりました。
また、豊臣姓を下賜されています。

1597年からの慶長の役では1500にて朝鮮に渡り、黄石山城の攻略戦などに参加しました。

1600年、関ヶ原の戦いでは、家臣を西軍・石田三成に協力させ、中川勢は細川幽斎が籠る丹後・田辺城の戦いに参加しています。
しかし、関ヶ原にて徳川家康が大勝利をおさめると、岡城にいた中川秀成は黒田官兵衛らの呼びかけに応じて東軍に鞍替えしました。
そして、西軍で抵抗を続ける日隈城を黒田官兵衛らと共に攻撃しています。
この時、佐賀関の戦いにて太田勢に多くの家臣を討ち取られたましたが、その功績が評価されて、戦後には所領が安堵されました。

1612年8月14日に中川秀成は死去。
あとは次男ともされる中川久盛が継いでいます。

さて、鬼玄蕃と称された虎姫の父・佐久間盛政は、1583年の賤ヶ岳の戦いにて中川清秀を討ち取る功績をあげてはいますが、合戦そのものは主君・柴田勝家が敗戦しました。
そのため、逃れようとした佐久間盛政は農民らに捕まり、羽柴秀吉(豊臣秀吉)のもとに連行されます。
豊臣秀吉は、武勇ある佐久間盛政を家臣に迎えようとしますが、佐久間盛政は感謝しつつもこれを拒否します。
そのため、豊臣秀吉は名誉ある切腹を命令しますが、佐久間盛政は「敗戦の将であるから処刑で良い」と宇治・槙島で処刑されました。
享年30と言う若さです。
中川秀成に嫁いだ虎姫(虎御前)は1564年生まれとされますので、20歳の頃に父を亡くした訳です。
中川秀成が父・中川清秀を亡くしたのは14歳の頃です。
その後、運命のいたずらか、豊臣秀吉の命より結ばれた2人ですが、お互いに戦国時代に翻弄された人生であると、理解していたのではないでしょうか?

1610年に虎姫は7人目の子供を産んだ日、出産が原因で京都屋敷で亡くなりました。
その後、中川秀成は虎姫の悲願を汲んで、5男・中川内記に佐久間家を復興させます。
また、岡藩・2代藩主の中川久盛(母は虎姫)は、佐久間の「久」と盛政の「盛」の字を継いでいると言って過言ではないでしょう。
そして、中川久盛は佐久間盛政の菩提を弔うために1644年に開創した寺があります。
現在、大分県竹田市にあるその寺の名は「英雄寺」です。

英雄寺は「ぼたん」で有名ですが中川秀成が朝鮮出兵の際持ち帰ったボタンだともされ、佐久間盛政、虎姫(洞仙院)、中川久盛と親子三代の位牌が安置されています。

虎姫(洞仙院)は岡城に来ることはありませんでしたので、墓も京都・誓願寺にありましたが、死後350年余を経て英雄寺の脇にある碧雲寺に移されています。

上記「碧雲寺」の東にある「岡藩主・おたまや公園」には、中川家の墓所があります。

公園には朝9時~17時まで入れます。
下記は中川秀成の墓です。

下記は岡藩の2代藩主である中川久盛の墓となります。

すぐ隣となる碧雲寺の墓所には、虎姫の墓もあるようですが、垣根があり寄せ付けない雰囲気でしたので、お墓参りは遠慮させて頂きました。
岡藩主・おたまや公園の駐車場(約5台)は下記の地図ポイント地点となります。

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