関ヶ原古戦場の決戦地碑~関ヶ原合戦の激戦地となった場所
関ヶ原の戦いは、東軍・西軍合わせて15万とも言われる、規模の大きな合戦でした。簡単に申し上げますと、関ヶ原のあちこちで、生き残りをかけた壮絶な戦いが繰り広げられた訳ですが、その中でも最大の激戦となった場所が、ここ「関ヶ原の決戦地」だとされて...
関ヶ原の戦いは、東軍・西軍合わせて15万とも言われる、規模の大きな合戦でした。簡単に申し上げますと、関ヶ原のあちこちで、生き残りをかけた壮絶な戦いが繰り広げられた訳ですが、その中でも最大の激戦となった場所が、ここ「関ヶ原の決戦地」だとされて...
奥平貞治(おくだいら-さだのぶ)は、兄・奥平貞能と共に徳川家康に従い、三河・長篠城を500にて守備していました。1575年5月に武田勝頼が15000にて長篠城を包囲し「長篠の戦い」となった際にも、大軍を相手に激戦の中、長篠城を守り切った武将...
関ヶ原の戦いで、東軍の「軍監」を任された本多忠勝は、現在の関ヶ原駅から南側となる「十九女池」の西側付近に陣を張りました。その地とされる公門第ニ公民館と民家の脇には「本多忠勝陣跡」の石碑があります。道路も狭いのですが、史跡への入口も狭く、下記...
JR東海道本線の関ヶ原駅から西にある「八幡神社」の場所は、古い北国街道沿いにあります。関ヶ原の戦いの際、徳川家康が桃配山から前進して陣場野に「本陣」を置きましたが、八幡神社はその徳川本陣の一部として使用されたと言う事です。ちなみに、この関ヶ...