JR関ヶ原駅から歩いても5分ほどの近い関ヶ原の戦い史跡が「東首塚」「井伊直政・松平忠吉陣跡」となります。
東海道本線の線路わきに、スタジイの大木が茂った場所があります。
徳川家康が床几場で首実検をし、命を受けた関ヶ原の領主・竹中重門が、塚を設けて東軍で命を落とした兵を供養しました。
その塚は「東首塚」と呼ばれており、関ヶ原にはもう1つ西軍の亡骸をおさめたとされる「西首塚」も別の場所にあります。
竹中家の指示があったとしても、実際に埋葬したのは村民ですので、東軍・西軍と明確に分かれているとは考えられていないようです。
東首塚(ひがしくびづか)がある広場には「血洗いの井戸」と呼ばれる古井戸もあります。
この井戸の水で、討ち取った敵の首を洗ったと伝わります。
また、哀れに思った村民が、井戸の水で、顔だけでも綺麗にと洗い、懇ろに供養したとも伝えられています。
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この東首塚の西側の道路は、古くの北国街道ですので、昔の正式な入口は下記の唐門がある西側であったと思われます。
ちなみに、唐門と境内にある本殿は昭和17年の設置(名古屋から移築された)です。
国指定史跡となった際に、柱や石柵が建てられました。
丁重にお参りさせて頂いたのは言うまでもありません。
その東首塚の敷地(境内)の片隅に、井伊直政・松平忠吉陣跡を示す石碑があります。
井伊直政隊には、菅沼次郎右衛門、松倉重政、関一政、坪内利定・坪内家定・坪内定吉・坪内正定・坪内安定、寺沢広高、そして旧武田家臣らが従っていました。
井伊直政と言えば、2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主・井伊直虎」の井伊直虎が養育した、井伊家希望の星で、彦根城の築城を開始しますが、関ヶ原にて島津義弘勢から負った鉄砲傷により、2年後に死去しました。
井伊直政の部隊には、関一政も加わっています。
なお、井伊直政3600は、先鋒ではありませんでしたが、初陣の松平忠吉に「一番槍」の功名を与えたかったのか、この付近から前進すると、宇喜多秀家勢に鉄砲を撃ちかけ、関ヶ原合戦の火蓋が切られました。
井伊直政と松平忠吉の陣跡は、忘れていると、見るのを忘れてしまうような環境ですので、ご注意を。
詳しい位置関係は、下記のオリジナルGoogleマップにてご確認願いたく存じます。
しかし、良く考えてみると、この東首塚は北国街道沿い、西首塚は中山道沿いにあり、いずれも西から関ヶ原宿に入る手前に位置します。
位置的には、単に西軍の戦死者が多かったところ、東軍の戦死者を収容したところとも、受け取れますがわざわざ「街道沿い」に「塚」を設けたのは、どのような理由があったのでしょう?
例えば、武田勝頼と戦った長篠の戦いでも、武田の将兵などを供養した塚がありますが、街道沿いではありません。
小牧・長久手の戦いでもそうです。
そのため、関ヶ原においては、気になる所ですが、その意味や理由が良くわからず、モヤモヤします。
下記は、東首塚付近から、黒田長政と竹中重門が陣を置いた「岡山(丸山)」を撮影した写真です。
遮る建物が少なく、良く見えました。
現在のTHK岐阜工場とその東側辺りには、徳川の寄合衆として、織田有楽斎・織田長孝、津田高勝、石川貞政、佐々行政、前田五左衛門、古田重然、猪子一時、船越景直、佐久間安政・佐久間勝之、亀井茲矩、加藤光通、戸川達安、宇喜多直盛、岡田善同、野々村三十郎、川村助左衛門、村越三光、小坂雄長、生駒利豊、兼松正吉、安孫子善十郎、稲熊市左衛門、澤井左衛門尉、森勘解由、林大学、三好一任・三好可正・三好房一・三好長通、宗可政、池田重成・池田光重、佐久間定頼・佐久間正房、長谷川重成、柘植正俊、多羅尾光利、野門乙長などが布陣したようです。
さて、東首塚には正式な駐車場はありませんが、西の旧北国街道の行き止まり部分が広く、駐車禁止でもないので、事実上の駐車場となっており、観光バスも止められる広さとなっています。
下記の地図ポイント地点が駐車スペースとなります。
また、一応トイレも設置されていますが「一応」と記載しておきます。
理由は察して頂けますと幸いです。
もっとも、トイレがある徳川家康後本陣や関ヶ原町歴史民俗資料館まで歩いて5分くらいですので、付け加えさせて頂きます。
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