JR東海道本線の関ヶ原駅から西にある「八幡神社」の場所は、古い北国街道沿いにあります。
関ヶ原の戦いの際、徳川家康が桃配山から前進して陣場野に「本陣」を置きましたが、八幡神社はその徳川本陣の一部として使用されたと言う事です。
ちなみに、この関ヶ原・八幡神社の創建は、戦国時代の1588年で、当時に関ヶ原一帯まで領地(5000石)となった竹中半兵衛の子・竹中重門が建てました。
しかし、関ヶ原合戦で社殿が焼失したようで、徳川家康は修復費として3000貫も奉納したと言います。
3000貫を現在の価値に照らし合わせますと、一概に貨幣価値は申し上げられませんが、ざっと3億円といったところでしょうか?
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しかし、関ヶ原の戦いとなったこの「関ヶ原宿」の周りの田畑には、多くの亡骸が放置されている状態です。
そのまま放置したままであれば、地元村民はもちろん、領主の竹中重門も迷惑な話です。
そのため、首実検した徳川家康は、見舞い(供養料)として米1000石(1億円相当?)を竹中重門に送り、あとの処理を任せ、関ヶ原の治安維持を行うようにと託しました。
その為、亡骸を集めて供養したのが「東首塚」「西首塚」と言う事になります。
なお、八幡神社の境内にはスダジイの古木があり「関ヶ原本陣跡スタジイ」と命名されています。
関ヶ原・八幡神社の場所は、下記の地図ポイント地点となります。
電車の待ち時間があった際など気軽に訪れる事ができる場所です。
※写真提供:寺田女史
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