関ヶ原近郊の史跡

明泉寺にある小西行長の墓?~垂井・岩手の竹中家ゆかりのお寺

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垂井の明泉寺は、天才軍師・竹中半兵衛を生みだした、岩手・竹中家の菩提寺です。
明泉寺はのち竹中家を称することになる初代・岩手重氏が建立したと伝わる寺です。
代々、岩手家(竹中家)の一族が、現在でも住職を世襲しておられます。

実は、この明泉寺の本堂裏手にある「竹藪」の中に、小西行長の供養碑?があると言う事で、今回ちょっと訪問してみました。

小西行長の墓(供養碑)がこの明泉寺にあるのは、関ヶ原の戦いの際に、逃走していた小西行長を、徳川家康に引き渡したのが、竹中家であったことに由来します。
京まで連行された小西行長は、あえなく処刑された訳ですが、そのため「祟り」を恐れたようです。
小西行長の遺骸は、京都の教会が引き取って埋葬したとされていますが場所は不明です。
なお、晒し首は竹中重門の家臣が密かに持ち帰り、この明泉寺の裏手に埋葬したと、地元では伝わっているようです。
と言っても、小西行長は、徳川家康に刃向かった大罪人でもありますので、徳川幕府の手前、竹中家としても、おおっぴらに供養することはできません。
そのため、目立たない、竹藪の中に、何も字が刻まれていない石碑を建てて、供養したものと推定されているようです。

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その後、江戸時代の1750年に無名の供養石に文字を刻んだらしいのですが、どうも徳川幕府の探索を逃れるために、全くウソの内容を掘った可能性が高いとの事です。
実に面白い説です。

その為、今回、明泉寺にも訪問させて頂いたのですが、裏手の竹藪は、まさに竹中氏が「竹」を用いて遮蔽したような「竹」の「藪」でして、入口すらわからず、あえなくすぐに撤退して帰って来ました。
恐らくは、住職さんに丁重にご挨拶した上で、場所を教えて頂けないと、無理そうです。
この日は雨天でもあり、足元も滑りやすいですし、そんな日にお尋ねするのも失礼な話ですので、そそくさと次の禅幢寺へと向かいました。

なお、ここ垂井・岩手には、小西行長の墓とされるものが、竹中半兵衛の墓がある禅幢寺にも存在するとの事です。

竹中彰元和尚の勇気

昭和12年(1937年)に日中戦争が始まると、この明泉寺の住職を務めいた竹中彰元(たけなか-しょうげん)さんは「戦争は最大な罪悪だ」と公言して説いたと言います。
当時は、帝国陸軍など軍部の権力が日増しに強くなっているご時世ですので、大変勇気ある行動だと思います。
しかし、当然、軍国教育を受けている村民からは非難され、ついに僧侶仲間が岩手村役場に通報する事態となり、当然のように警察に逮捕されたと言います。

最終的な判決は禁固2ヵ月20日、執行猶予3年となりましたが、驚くべきは仏教界の処分です。

垂井・明泉寺は、真宗大谷派だったようですが、竹中彰元さんの僧侶の位を最低に落としただけでなく、布教する資格をはく奪しました。
ただし、1941年(昭和16年)に布教資格だけは再許可が出ています。

そもそも仏教は「殺生」を禁じています。
なので、毎日の食事も、動物の肉を一切食べない「精進料理」となっているはずです。
竹中彰元さんのように平和を訴えて、検挙された当時の日本の僧侶は、他にも数名おられますが、多くの仏教界までもが、軍国主義に傾いていたと言う事ですので、国家権力とは本当に恐ろしいものだとつくづく感じます。

竹中彰元さんは、終戦を迎えた直後の1945年(昭和20年)10月21日に77歳で亡くなりました。
それから70年経過して、2007年には真宗大谷派の宗務総長が謝罪し、一切の処分が取り消され、名誉回復を果たしたと言う事です。
当時は、NHKでも名誉回復の特番が放送されました。

明泉寺の山門脇に「戦争は罪悪である」の碑が建立されています。

明泉寺の場所ですが、下記のオリジナルGoogleマップにてご確認賜りますと幸いです。

関ヶ原史跡「実用Googleマップ」~観光のお供に便利な地図

山門手前などに駐車スペースがありますが、今回は、竹中氏陣屋跡の観光用駐車場から徒歩で行きました。
徒歩3分といったところで、近いです。

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