3分でわかる戦国武将

茶屋四郎次郎とは~京都の豪商で徳川家康を多方面にて支援

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茶屋四郎次郎(ちゃや-しろうじろう)は、京都で呉服などを商いし戦国武将にも大きくかかわったた豪商です。
もとは、小笠原長時の家臣・中島明延(中島四郎左衛門明延)が深手を負い武士やめて京都に店を構えたのが始まりとされ、将軍・足利義輝が、この中島明延の屋敷にあった茶屋にてよく「茶」を飲んでいたことから「茶屋」が屋号になったようです。
この中島明延の子が、茶屋清延(ちゃや-きよのぶ)と言い、一般的に茶屋四郎次郎(初代)と呼ば、若いころには徳川家康の近習であったともされ、三方ヶ原の戦いで活躍し、合戦には53回参陣していたとも言います。

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明智光秀本能寺の変の際には、茶屋四郎次郎が徳川家康らの一行に、早馬で知らせ資金援助したとされ、神君伊賀越とも言う、徳川家康の三河への逃亡を支援しました。
この恩により、徳川家の御用商人となって呉服を一手に引き受けるようになり、京都における徳川家康の旅宿もつとめました。
江戸城下にも屋敷を拝領し、朝廷や豊臣秀吉との仲介役も果たしていたとされます。
そんな茶屋四郎次郎は、1596年閏7月27日に亡くなりました。享年52歳。

豊臣秀吉死後、徳川家康の権勢が絶大となると、茶屋家も> 朱印船貿易で巨万の富を築きました。
特に、石田三成関ケ原の戦いの直後には、京都の治安が悪化していると知らせ、板倉勝重が京都所司代となると、2代目・茶屋清忠(ちゃや-きよただ)が京都町人頭となっています。
また、徳川家康の死因ともされる「鯛の天ぷら」がおいしいと、家康に勧めたのは3代目・茶屋清次(ちゃや-きよつぐ)ともされています。
茶屋清次は、大坂の陣でも徳川家のために活躍していました。

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栄華を極めた茶屋家でしたが、1635 年に異国への渡海禁止により、南蛮貿易ができなくなり、以後は白糸販売に専念しましたが、次第に没落しました。

三方ヶ原の戦いと一言坂の戦い~史跡の写真や地図・駐車場情報も
徳川家康がなぜ天下を取れたのか?

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