筒井定次と伊賀上野城の戦い~伊賀・上野城の訪問記
筒井定次(つつい-さだつぐ)は、1562年5月5日、和泉の慈明寺城主・慈明寺順国(筒井順国)の次男として生まれました。母は筒井城主・筒井順昭の娘です。筒井一族で本家となる筒井順慶(筒井順昭の子)が跡継ぎに恵まれなかったため、筒井定次は筒井順...
筒井定次(つつい-さだつぐ)は、1562年5月5日、和泉の慈明寺城主・慈明寺順国(筒井順国)の次男として生まれました。母は筒井城主・筒井順昭の娘です。筒井一族で本家となる筒井順慶(筒井順昭の子)が跡継ぎに恵まれなかったため、筒井定次は筒井順...
水口城の戦いとは戦国時代の1600年9月15日、関ヶ原の戦いで敗れてしまった石田三成。石田三成に味方した西軍諸将は、関ヶ原で討死・自刃した者もいれば、本国への逃走を図った者もいました。そんな中のひとり、長束正家は関ヶ原から直線距離で約65k...
しかし、スゴイところに陣地を構えたものです。毛利秀元は・・。と言う事で、南宮山(なんぐうさん)にある毛利秀元の陣跡を訪問して参りました。関ヶ原の戦いの際に、毛利秀元が陣を置いた場所は、岐阜県垂井町にある南宮大社から山登りとなります。まずは、...
関ヶ原の戦いの際に、徳川家康が最初に本陣を置いた場所は「桃配山」となります。現在、桃配山(ももくばりやま)にある「徳川家康最初陣跡」は国史跡に指定されており、国道21号沿いの階段を登って2分ほどの山腹にあります。1600年9月14日の夜、西...
岡山烽火場とは国指定史跡の岡山烽火場(丸山)は、関ヶ原の戦いの際に、黒田長政と竹中重門が陣を置いた小高い丘です。良い場所は先に西軍が布陣してしまいましたのでね、東軍で小高い場所に陣を置けたのは、徳川家康の桃配山と、ここ岡山(丸山)くらいです...
石田三成の盟友として、最後まで石田三成に協力した勇士として、多くの戦国武将好きが親しみを感じているのが大谷吉継(大谷刑部吉継)です。そんな大谷吉継は関ヶ原の戦いにて敗れ、現地で自刃しました。そのため、大谷吉継の陣跡の近くには、大谷吉継の墓も...
他の関ヶ原の史跡は、かつて陣地があった事を示すような「石碑」だけが概ね建っているのですが、ココの笹尾山(ささおやま)だけは、山腹に竹矢来と馬防柵が再現されています。その為、関ヶ原の戦いにおける合戦史跡としては、最大の見どころになると思います...
1600年、徳川家康が大勝利を収めた、天下分け目の戦い「関ヶ原の戦い」にて、大きなポイントとなったのが、西軍を裏切った小早川秀秋です。そんな、小早川秀秋が、なぜ松尾山と言う山の上に布陣したのか?、なぜ、そんな場所から裏切ったのか?を考えなが...