もう一つの小田原城の戦い【大槻合戦】戦国時代・上杉謙信と北条氏康の攻防
小田原城の戦いといえば、関白・豊臣秀吉が率いた2万の兵に包囲され3ヶ月の籠城戦に耐えたが、支城の崩落、重臣による内応、一門による降伏などにより開城したことで、関東一円を支配した北条氏の滅亡へと繋がったというのが有名です。実は、この戦いの20...
小田原城の戦いといえば、関白・豊臣秀吉が率いた2万の兵に包囲され3ヶ月の籠城戦に耐えたが、支城の崩落、重臣による内応、一門による降伏などにより開城したことで、関東一円を支配した北条氏の滅亡へと繋がったというのが有名です。実は、この戦いの20...
伊達政宗の父・伊達輝宗が二本松城主・畠山義継らによって拉致されたが、伊達政宗の苦渋の決断によって両者が討たれたことが原因となった戦い。人取り橋の戦いについて解説する。発端1585年(天正13年)10月15日伊達政宗は、伊達輝宗の初七日法要を...
河越夜戦の背景室町幕府は、国がいくつにも分かれていた関東地方を統治するため鎌倉府を設置します。鎌倉府の最高責任者・鎌倉公方は将軍の代理という立場でしたが、幕府派遣の関東管領が執権の職務と坂東武者の掌握をしていました。◆確執鎌倉公方の第四代・...
捲土重来捲土重来(けんどちょうらい)、本能寺の変後、豊臣秀吉の天下統一に最も貢献した軍師・黒田官兵衛こと黒田如水。しかし、朝鮮出兵後、豊臣秀吉から疎まれるようになると表舞台から遠ざかり、家督も嫡男の黒田長政に譲って隠居してしまいます。ただ、...
賤ケ岳の戦い戦国時代の1582年(天正10年)6月2日戦国時代に様々な革命を起こして勢力拡大を続けてきた織田信長ですが、家臣・明智光秀の謀反によって本能寺で亡くなってしまいます。この本能寺の変では、織田信長だけでなく後継者である嫡男・織田信...
三方ヶ原の戦いとは戦国時代の三大英傑として挙げられるのは、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康です。その徳川家康が、最終的に戦国時代の覇者となり400年間の平和な時代が続いた江戸幕府を開いたことは、誰もが知るところです。スポンサーリンク (a...
天下布武の旗印を掲げ勢力拡大を続ける織田信長。尾張・美濃を支配下に治め、足利義昭を擁して京上洛も果たします。しかし、天下布武という先を見ている織田信長は、休む間もなく摂津・越前・近江、そして伊勢へと手を広げていくのでした。1570年(元亀元...