注目情報

萱津の戦い ~織田信長・勝利を得る~

萱津の戦い(かやづのたたかい)は、戦国時代の1552年に尾張国萱津にて、織田信長・織田信光の軍勢と、清洲織田勢の坂井大膳が戦った合戦です。織田信秀(おだ-のぶひで)の死後、弾正忠家の当主を継いだ織田信長(おだ-のぶなが)ですが、駿河より侵攻...

関ケ原の戦犯は毛利輝元か?

天下分け目の「関ケ原の戦い」が行われていた9月15日。Twitterでは石田三成が、#関ケ原2020を立ち上げ、今年も負け戦を実況していました。石田三成は逃走から6日目の9月21日に捕縛されていますが、2020年はMKタクシーを利用しレバノ...

手這坂の戦い (てばいざかのたたかい)

手這坂の戦い(てばいざかのたたかい)は、戦国時代に、常陸・小田城の小田氏と、佐竹氏が戦った合戦です。小田氏が長年支配していた常陸・片野城が、佐竹勢に奪われて、太田資正が入ります。太田資正はまもなく入道して太田三楽斉道誉と号し、家督を梶原景国...

平塚為広 平塚為広碑 名門三浦家の誇りを持って大谷吉継と運命を共に【関ヶ原の史跡】

関ヶ原の戦いの際、大谷吉継陣跡よりも、敵の東軍を先だって迎え撃つような形で布陣したのが、平塚為広(ひらつか-ためひろ)です。平塚家は、相模・岡崎城を本拠地にもした、もともと相模の名門・三浦氏の氏族で、三浦為高が平塚郷(神奈川県平塚市)を領地...

石田三成公の人物像を物語る お茶との逸話

石田三成公。今でこそ、義に生き、義を貫いた武将として知られておりますが、一昔前までは秀吉公の腰巾着、狡猾な悪党として語られることも少なくはなかった武将です。石田三成公といえば、関ヶ原の戦い。戦国時代の大戦で最後を飾った石田三成公ですが、その...