注目情報

お茶屋屋敷~関ヶ原で勝利した徳川家将軍専用の宿泊施設は61棟もココに美濃赤坂にあった

お茶屋屋敷とは1600年、関ヶ原の戦いにて勝利し、天下を掌握した徳川家康は、全国に主要街道の整備を行った。やがて江戸幕府を開き、1609年に徳川家康が江戸城から上洛する際に、中山道の要衝であり、徳川家が関ヶ原で勝利すると言う「開運の地」とも...

大垣城の歴史と大垣城の戦い~大垣城訪問記

大垣城の歴史大垣城(おおがきじょう)は連郭輪郭複合式平城で、最盛期の規模は現在の敷地の広さからは想像もできない、4重にも水堀を巡らした総構えの城だったようです。大垣城の別名は麋城(びじょう)、巨鹿城(きょろくじょう)とも、牛屋城とも呼ばれま...

平塚為広 平塚為広碑 名門三浦家の誇りを持って大谷吉継と運命を共に【関ヶ原の史跡】

関ヶ原の戦いの際、大谷吉継陣跡よりも、敵の東軍を先だって迎え撃つような形で布陣したのが、平塚為広(ひらつか-ためひろ)です。平塚家は、相模・岡崎城を本拠地にもした、もともと相模の名門・三浦氏の氏族で、三浦為高が平塚郷(神奈川県平塚市)を領地...

石田三成公の人物像を物語る お茶との逸話

石田三成公。今でこそ、義に生き、義を貫いた武将として知られておりますが、一昔前までは秀吉公の腰巾着、狡猾な悪党として語られることも少なくはなかった武将です。石田三成公といえば、関ヶ原の戦い。戦国時代の大戦で最後を飾った石田三成公ですが、その...

判官びいき もともと悲運の武将に同情する意味だった

判官びいきと言う言葉をたまに目にしますが、イマイチ正確な意味までわからないと言う場合が多いのではないでしょうか?そんな「判官びいき」に関して解説したいと存じます。そもそも、判官びいきを全部漢字で記載しますと「判官贔屓」と書きます。読み方(ひ...